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メッセージ:

いま「大学」から反対の声をあげる理由  (松村圭一郎  岡山大学教員・文化人類学)

 

 全国各地の大学で有志の会がつくられ、安全保障関連法案への反対の声があがっています。法案の問題点については、多くの方が指摘されていますので、ここではなぜ「大学」から声をあげるのか、その意味を考えてみたいと思います。

 

 言うまでもなく、大学は学問をする場所であり、学びの場です。政治運動をするための場所ではありません。ですから、今回の安保法案に岡山大学から反対の声をあげた背景には、たんに自分たちの政治的意見を声高に叫ぶこと以上の理由があります。

 

 学問に欠かせないのが「対話」です。この対話が成り立つためには、誰かひとりだけがマイクをもって話し続けたり、発言の内容や時間が制限されたり、権力関係や罵詈雑言で威圧されたり、そんなことが起きない自由でフラットな空間が必要です。そうでなければ創造的な発想も、研ぎ澄まされた思考も、生まれないからです。

 

 本来の大学には、この創造的な対話を生みだす素地があります。自由な時間があり、利害関係にとらわれない、多様な背景をもつ人が集まってくる場所ですから。でも、もうおわかりのように、「対話」が起きるには、学生が教室で教員の話を聞いて、言われたとおりの課題をこなして、単位をとって卒業するだけでは、まったく不十分です。学問の場としての大学には、「教室」とは別の対話の空間が欠かせません。

 

 今の大学では、そうした対話の場がどんどんと失われているように思えます。私自身は今年4月に着任したばかりで、まだよくみえていない部分もありますが、岡山大学には、学生による自治会も、新聞もないようです。学生のつくった立て看もほとんどみかけません。学生たちはみんなまじめで、夏休みなのに図書館や研究室ではたくさんの学生が勉強しています。教職や公務員を目指してがんばっている学生も多いと聞きます。

 

 でも、これだけ世間で騒がれている政治問題について、学生たちが学食で語っているのを耳にすることも、ビラをまいたり演説したりする姿を目にすることもありません。今日も、まったくいつもと変わらない様子でキャンパスを歩く穏やかな学生たちの姿があります。

 

 私たちは、その姿に危機感を覚えるのです。今回の法案に賛成するにせよ、反対するにせよ、学生たちのあいだで、きちんと議論が起きているのか、大学がそんな対話を促す場として機能しているのか、心配になるのです。自分たち教員が大学を(たんに授業をして単位を与えるだけの)対話の生まれにくい閉塞的な場にしてきたのではないか、と反省を迫られるのです。

 

 今回、岡大有志の会では、現役の学生とも話し合って声明文を作成しました。それは、学生のあいだに対話のきっかけが生まれることを願っているからです。学生のなかにもあるはずの分断された、見えない小さな声がつどえる「場」をつくりたい、という思いがありました。もし声にならないまま、もやもやとした思いを抱える学生がいるのなら、その思いを語るための「言葉」を提供したいという気持ちで、声明文の推敲を重ねました。その過程で、強く糾弾する口調や誰かを非難する言葉は削られました。「対話」のはじまりには、自制と慎み深さが必要だからです。

 

 岡山大学の津島キャンパスは、緑が多く広々として、とても気持ちのいい場所です。この学生たちが行き交う広大なキャンパスは、かつて陸軍の駐屯地でした。第17師団や歩兵第33旅団の司令部が置かれ、歩兵第10連隊や工兵第10大隊などの兵営がありました。この岡山大学の地から若い兵士たちが出征していきました。 

 

 岡山大学のすぐ裏には、いまも陸上自衛隊の駐屯地があります。山の中には日本でも有数の弾薬庫があるそうです。岡山大学の正門に向かってまっすぐにのびる岡大筋では、大勢の学生が自転車をこいでいる横を、よく自衛隊の大型トラックが通っていきます。門の目の前にあるバス停には、自衛官募集の広告が出ています。

 

 岡山大学で学ぶ学生は、法案に対してどんな立場をとるにせよ、この歴史や現実と無関係には生きられません。ですから、ぜひこの問題について議論してもらいたい。異なる意見をもつ人との対話をとおして、自分なりの言葉を獲得してもらいたい。そして、その意見をきちんと人前で語れるような成熟した市民になってほしい。岡大有志の会の設立には、(少なくとも個人的には)そんな岡大関係者の願いが込められていると思っています。そして、大学をそんな活発な対話が生まれる場にすることが、大学に関わる人間の責務だと思います。

 

 今回の法案への反対運動では、大学生や高校生など、若い世代が自分たちの言葉で反対の声をあげていることに、深い感動を覚えます。ある意味、学者の言葉よりも説得力があります。市民に訴え、心を揺さぶる力をもっています。彼ら/彼女らのスピーチを聞いて、率直にそう思います。若い世代がつむぎだす「言葉」は、社会の未来をつくる声です。その声があたりまえにどこからでもわき起こり、自然と対話が生まれることが民主主義の成熟には欠かせません。

 

 安保関連法案がこのまま国会で通っても、逆に廃案になっても、これからどうやって平和を守っていくのか、市民が対話をつづけ、考えつづけていく必要があることに変わりはありません。今回、「大学」から反対の声をあげることは、その議論を喚起し、対話の場としての大学本来の姿を取り戻すための小さな、でも重要な一歩だと思います。

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